開校当時の校舎
2016年5月17日 12時34分今回は、開校当時の校舎の様子を説明します。開校してから40年の間の資料のほとんどが焼けてなくなってしまいました。そこで略図から校舎の様子を調べてみました。木造の校舎は2階建てで地下はなかったようです。1階には教員室のほか雨天体操場がありました。門には花崗岩の柱が使われていたそうです。校庭は砂利がひいてあったそうです。
今回は、開校当時の校舎の様子を説明します。開校してから40年の間の資料のほとんどが焼けてなくなってしまいました。そこで略図から校舎の様子を調べてみました。木造の校舎は2階建てで地下はなかったようです。1階には教員室のほか雨天体操場がありました。門には花崗岩の柱が使われていたそうです。校庭は砂利がひいてあったそうです。
開校当時の学校の銘板を現在の物と並べてみました。明治41年に6年間の義務教育が始まった時から使われたものです。「東京市青南尋常小学校」と書かれています。右は昭和22年ころ使われたもののようです
学校の名前は、開校時は、「青南尋常小学校」その後「東京市立青南尋常高等小学校」「東京市青南尋常小学校」「青南国民学校」など社会の変化につれて名前もかわってきました。その後「東京都港区立青南小学校」を経て、現在の「港区立青南小学校」となったそうです。
学校の表札からも、時代によって学校の名前が変わっていったことがわかります。
私たちは、創立110周年にあたり発足した児童会の校歴編纂委員会です。
こちらのページで、トップページで紹介した画像を中心に、今までの記念誌やインタビューなどをもとに、校歴編纂委員が調べた青南小学校の歴史を振り返りたいと思います。
記念すべき第1号です。
明治39年(1906年)に誕生した東京市青南尋常小学校の正門です。
児童数が増えたため、青山小学校の学区域にもう一つ学校を作ったことが始まりだそうです。
この年の11月18日に開校式を行い、この日を開校記念日とすることとなりました。
明治(1906年)当時の「青南尋常小学校」